旧魁陽亭の海陽亭は、
小樽の歴史的建造物第2号。
明治初期に開業した料亭で、
150年あまりの歴史があります。
おそらくは、道内で一番歴史ある
料亭と思われます。
明治39年11月、
日露戦役による樺太国境画定会議後の
大宴会がここで開かれました。
☆ポーツマス条約後の樺太の国境画定会議
日露戦争で勝利した日本は、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南が割譲されました。日露両国は明治40年度の国境線画定(北緯50度線)の作業の進め方についての会議を小樽で開催しました。これが、「樺太国境画定会議」です。
この会議に先立ち、測量方法、境界標石の表示方法、作図の確認方法など、国境を定めるための会議がアレクサンドロフスク(現ロシア・サハリン州)で、1906(明治39)年6月から数回にわたり行われました。しかし、実地作業の期間が短かったため、細部は作業の進捗とともに決定していきました。
こうして国境画定会議は1906(明治39)年11月13日~21日の間に4回開催され、最終的に7項目からなる規約を協定して終了しています。
旧魁陽亭は、小樽の日本郵船で
日露戦争の勝利の調印
がなされた後、
祝賀会が開かれた料亭
なのです!!
なので、伊藤博文がこちらへ
来たのですね。
目次
海陽亭は小樽の歴史的瞬間が繰り広げられた料亭
花街があった小樽にも財界人や著名人が
集った料亭が残されていたのですね。
魁陽亭から開陽亭、海陽亭と名を
変えてきました。
現在は、お食事ができるそうですが、
通年ではないようなので、確認が必要です。
2015年に一度、海陽亭の中の見学と
お食事で入ったことがあります。
海陽亭は小樽のオルゴール堂の
すぐ脇の坂を上がってすぐ左に
奥まった小高いところにあります。
明治の建物ですからね<
さすがに、木材の色も経年の
味が出ています。
入口を入って左に廊下があり、
1階の広間でお食事をいただきました。
大きな開放的な窓からは、
新緑が見えて気持ちがよいです。
こちらで、ランチのお弁当をいただきました。
まぁ、普通のかんじです^^
雰囲気を味わうといったかんじですね。
お食事を終えて、広間を見てまわります。
普通の和の照明と思いきや・・・。
キャーっ!!ゴキブリ!!?
ではありません< コオロギが。
なんと洒落た?装飾でしょう^^
廊下に並んだ提灯がまた時代を
感じさせます。
時代劇みたい^^
海陽亭の大広間は何畳あるの?!こんなの見たことない!!の間
そして、大広間のある二階へ。
2階大広間「明石の間」は、
明治29年大火類焼時の再建と推定されています。
これはすごかった!
度肝を抜かれます。
ジャジャ~~ン!!!
この大広間はかなりの広さで
160畳だったかな?
大・大・大宴会ができますね^^
この3色の天井の布はもともとは
紅白だったものを、
石原プロの映画の撮影のときにグリーンも入れて
そのままにしていったのだそうです<
この料亭で芸者さんが200人近くいて
接客されていたようです。
圧巻ですね<
こちらの書によると、
芸者衆は400人~500人とも
いわれ・・・とありますので、
交代で接待していたのですね。
有名人、著名人がたくさん
訪れたみたいです。
伊藤博文や石原裕次郎、岡本太郎、長嶋茂雄、
歴代の総理大臣からアランドロンまで~!
当時の様子を見てみたいものですね~^^
こちらは、伊藤博文の書なるものが。
大広間の窓も素敵。
茶室もまた素敵!!
日本らしい絵になるフォトスポットが
満載の建物ですよ!
個人的には、
こちらの几帳の生地がすごいのなんのって<
羽二重かな。
今なら100万は軽く超えるでしょう。
すばらしい光沢、肌ざわりです。
時代がタイムスリップしてしまうような、
素敵な空間で、
昔の小樽の栄華の時代に
思いをはせることが
できる場所です。
一度は見て損はないとおもいます!
超おススメの場所です^^
15年以降、休業していましたが、
18年に不動産投資業オール・ケア・アシスト(札幌)が
こちらを購入。
このたび、18年から建物内に残る2千点以上の史料を調べ、
まとめた冊子を、小樽商科大の研究員らが
発行したそうですよ。
小樽 海陽亭(旧魁陽亭)
◆住所:小樽市住吉町4−7
◆営業時間:現在は休業中
◆電話番号:0134-32-4111
コメント