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小樽の観光名所といえば、言わずと知れたこちら!小樽運河!! | もとバスガイドたるっ子の小樽観光ブログ

小樽の観光名所といえば、言わずと知れたこちら!小樽運河!!

小樽観光の一番の見どころはやはり小樽運河でしょうか。

小樽運河道路

小樽へ来たら絶対に見ていただきたい哀愁ある?
小樽運河。

 

現在(H20年1月時点)観光都市小樽には
毎日たくさんの
国内外からの観光客が訪れます。

小樽運河の遊歩道が竹下通りのように?!
なっています^^

 

そもそも、運河の役割とはなんだった
のでしょう?

 

江戸時代~戦前はニシン漁で栄え、
北前船で小樽と本州を行き来し
ニシンの加工品などと本州の物資などと
交換していました。

北前船についてはこちら

小樽の鰊

ニシンによって、北海道内一の繁栄を誇っていたという小樽。

 

運河には3000人もの港湾労働者がいたそう。
それだけ、開拓物資や農産物の集積港として
賑わっていたそうです。

 

そのため、小樽には鰊御殿番屋などが
ありますね。

鰊御殿についてはこちら

小樽鰊御殿

白鳥番屋

 

大正時代には北のウォール街とも呼ばれ、
たった数十メートルほどのあいだに
銀行が25もあった、とか。

 

日本銀行

贅を尽くした明治・大正期の西洋建築物が
たくさんあるのも
うなずけます。

 

しかし、いまから40年くらいまえには、
いまの運河の倍の幅があり、
整備もされていなくヘドロと
壊れた船が並んでいる状態でした。

(でも、よく写生をしている人が多く見られました。)

 

市民にも、岸辺にあった明治時代の倉庫なども、
もはや遺物と思われていたようです。

目次

小運運河が埋め立てられる?!運河がなくなる!?

昭和41年に、地域経済の停滞を打破するべく
運河を埋め立てて、
幹線道路とすることが決まりました。

これにより、運河の周辺の倉庫が
壊されていきました。

有幌地区の倉庫は石造倉庫が30棟もズラっと
両側に並び、まるでヨーロッパ中世
の石造りの街並みのようだったそうです。

そんな石造りの倉庫が壊され、ついには、
運河が壊されていく・・・。

 

これを見かねた、先見の明のある人々!?が
立ち上がり、このままでは小樽の歴史が
なくなってしまう・・・、と
昭和48年に「小樽運河を守る会」を発足させたのです。

 

運河としての、役目もほとんど終わっていたので、
運河は町の人々も、いらない存在だった中、
貴重な歴史的遺産として残してほしいという
運動は、埋め立てるか否かで、
想像を絶する大変な騒動となり、
これが全国に広まり小樽運河は有名になりました。

 

この運動は10年にも及んだといいます。

 

この間、時代の波が追い風となりました!

 

昭和48年のオイルショックで、
高度成長の代償として
失くしてしまったものの大きさを顧みる風潮が
あり、日本建築学会による明治建築の保存運動
はじまっていました。

 

長崎のグラバー邸や神戸の異人館街
そして小樽の運河周辺の街並み!!が
取り上げられたのです!

 

そして、追い風は昭和53年にも!!

札幌中心に道内の有名な作家や画家などの43名による
「小樽運河問題を考える会」が結成され、
さらに東京でも「小樽運河を愛する会」が結成
されるなど、
全国的な取り組みになっていきました。

小樽の人口の半分が集まったお祭り ポートフェスティバル!!

そして、昭和53年に小樽に10万人の市民が
運河にやってきました!

 

それは、なにかというと
ポートフェスティバル!!
というお祭り。

 

石造り倉庫を舞台にした、
若者を中心としたお祭りで
歩行者天国に100軒ちかくのお店が
並び大変賑わいました。

 

お祭りといっても、とてもオシャレなもので
今でいうフリーマーケットや蚤の市、
運河にあった艀の上にはビアガーデンや
ステージ、石造倉庫では舞踏やジャズライブなど、
で魅力あふれるものでした。

 

このポートフェスティバルは
17回行われました。

 

それは市民に大変な影響を与え、
閉鎖的だった考え方を一気に
ぶち破ったようです。

若者たちが小樽の未来を切り開いたのです。

そして、
約10万人の市民の著名を集めたのです。
このころの小樽の人口は18万人でしたので、
すごいことですね。

 

しかーし!!!

 

運河埋め立て計画は止まらず、
昭和57年11月に
1本目のくいが運河に打ち込まれたのでした<

 

10年の歳月を費やした小樽運河運動ですが、
これにより、3分の2は埋め建てられてしまいましたが、
運河は残り、結局現在は先見の明があった人々の
おかげで、観光都市になりました。

 

北運河の端には、昔の運河の面影を今でも
みることができます。

kitaunnga

運河なくして現在の小樽は観光地としては
成り立たなかったかもしれないですね。

 

わたしも何度見ても飽きないこの運河ですが、
やはり昼の顔と夜の顔では
また違った魅力があるので、
小樽を観光するなら1泊は宿泊してゆっくりと
観光したほうが楽しめると思います。

小樽運河

夜はガス灯の灯りが運河の水面に写りこんで、
幻想的でとてもロマンチックですよ!

PM5:00になると、
小樽運河のガス灯63基が一斉に点灯します。

こちらの明かりは、電球ではなくガス灯なので、
灯りがとても幻想的で素敵です。。。

小樽運河ガス灯

11月から~1月までは、イベントなどもあり、
運河が青くなります!?

冬は青の運河!!雪の運河!!

この期間にしか見られません。

歴史ある小樽運河。
ぜひ運河へ足をお運びくださいませ~!

 

小樽運河

◆住所:小樽市港町5

◆24時間営業

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